Monologue

顔認証システムに思うこと

日本版NewsWeek誌2019/10/15号に掲載された読者投稿の原文です。
「ジョージ・オーウェルは「1984年」で姿の見えない独裁者による監視社会を近未来の恐怖として描いているが、何かの監視による社会秩序の形成は現実に古来より存在する。日本で言えば「お釈迦様は全てお見通し」「ご先祖様が見ている」といった宗教観が多少なりとも日常生活の規範として作用してきた。日本に限らず、他宗教の国家でも宗教警察などの監視によって秩序が維持されているケースはいくらでもあるし、仮想的ではあるがフーコーのパノプティコンもまた然りである。
「天網恢々疎にして漏らさず」は古代中国の格言だが、現代の中国人が日本を旅行して、誰も見ていない状況下でもルールを守るという日本人の道徳観に驚くというのも皮肉ではある。
翻って、現代では顔認証やネット監視による監視社会が1984年の現実化として議論の的になっている。その上、こういった監視システムを主導しているのが中国共産党であるから恐怖感・抵抗感はさらに強い。だが、見方を変えれば、デジタル化された天網が現代の監視システムなのだ。結局のところ、宗教であれ、ネット監視であれ、社会の秩序維持に関して一定の効果があるのは確かだろう。
問題はこれらのツールを誰が掌握して利用し、誰がその濫用を抑止するかだ。」 (令和2年2月)

ブレグジットは他山の石か

日本版NewsWeek誌2016/7/19号に掲載された読者投稿の原文です。
「英国のEU離脱に関して、英国以外では『はた迷惑な決断をしてくれた』といった論調が主流のようであるが、コリン・ジョイス氏の記事を読んで論点の一端が理解出来た気がする。
経済的な損得勘定に加え、英国のような成熟した国家に超国家主義は馴染むのか、共同体の中で個人や家族、更には民族の主権はどこまで容認されるのか、人間にとってどの規模の共同体までが実現可能な存在なのか、といった問題が『EUへの残留の是非』という一言で纏められてしまったのである。ここへ移民問題や官僚主義的EUへの批判などが加わった混沌を二択の国民投票にかけてしまったことが最大の問題なのではないだろうか。
これは英国だけの問題ではない。論点を単純化することで大衆におもねる政治手法はどの社会にも存在する。参院選などの大型選挙を目前にする我々日本人にとっても決して他人事ではない。」(平成28年8月)

ドイツ語よもやま話(小諸北佐久医師会「噴煙」平成27年11月号に掲載)

「進撃の巨人」の主人公、エレン・イェーガーは原語表記すると"Eren Jäger"になります。また、この主題歌の一節に"Sie sind das Essen, und wir sind die Jäger."(奴らは獲物、我らは狩人)とあります。つまり、「エレン・狩人」という「名は体を表す」主人公な訳です。更に、このJägerという単語は動詞jagen(狩りをする)に由来し、jagenの名詞形はJagdとなりますが、これを聞いて"Jagdpanther"を思い出す人はいるでしょうか?ヤークトパンター(パンサー)、有名な旧ドイツ軍駆逐戦車です。
パンター=戦車と勘違いしている人も多いようですが、「戦車」を意味するのは"Panzer"で、日本語表記のパンターとパンツァーが屡々混同されます。"Panzer(kampfwagen) Panther"(パンサー戦車)というのも有名ですが、ややこしいですね。
そして私たちの業界で知られた言葉に"Panzerkrebs"(鎧癌)があります。そもそも癌の語源が「蟹の甲羅のように固い」ことからKrebsと言われるようになったのに、それが「鎧のように硬い」というのはどれだけ硬いのでしょう?いずれにせよ、芋づる式に言葉が連鎖していくのがドイツ語の特徴です。 (平成27年12月)

医療とマスコミ

日本版Newsweek誌(2013/12/10号)で「癌治療を揺るがす大論争の行方」と題する特集記事が組まれ、これに対して読者投稿をしたところ、2014/2/18号でLettersとして採用されました。高名な近藤誠先生が唱道する「癌検診も治療も無駄」との説と、これに対する反論を取り扱った記事に対する私なりの所感です。
「一般診療に携わる一医師として言いたい。癌検診や治療法に関する近藤医師の主張も、それに対する反論も、医学者や医事評論家としての発言ならばそれなりに納得できる。こうした情報発信は今後も必要だ。しかし医師としての発言であるなら、個々の患者の人生に対して責任を持つくらいの意識と配慮が必要ではないか。自身の信条で患者を教化するのは医師の仕事ではない。」 (平成26年5月)


「頭が痛い」 (「商工こもろ」誌平成23年10月号に掲載)

初めて経験するような頭痛、いつもと違う頭痛、手足がしびれて力が入らなくなる頭痛は、くも膜下出血、髄膜炎など命に関わるものが心配されますので、救急の病院受診が必要です。主に脳外科・神経内科の担当となります。では、命には関わらなくともつらい頭痛の場合はどうでしょう?目がかすむような場合は緑内障の発作かも知れません。眼科を受診しましょう。一方、目の周りや奥が痛いけれど、特に目がかすまない場合は副鼻腔炎(蓄膿症)が非常に多いです。これは耳鼻科の他、頭部レントゲンやCTを撮影できる施設であれば対応できます。以上が全て除外されたら、片頭痛や緊張性頭痛が考えられます。なお、触れると痛くなるような頭痛は、神経痛の他に帯状疱疹があります。発疹が出現すれば確実ですが、それ以前でも診断できる場合もあります。CTでくも膜下出血や脳腫瘍でなくても、痛みが続く場合はもう一度医療機関に相談してみましょう。


 

当院の考え方

 医療機関にもいろいろありますが、「消化器科」とか「精神科・心療内科」といった標榜の下に、それぞれの先生方の得意とする仕事をする、というのが一般的なスタイルでしょう。では、仕事のストレスから過食と飲酒過多になって肥満、高血圧症、糖尿病に加えて、うつ病と腰痛症を抱えてしまった、といった場合、皆さんならどうされますか?内科(時には循環器科と糖尿病科)と心療内科あるいは精神科、更に整形外科を受診するのでしょうか。もちろん、それも一つの答えです。しかし、そこには「何故肥満と糖尿病になって、腰を痛めたか」という「つなぎ」が欠落しがちです。 内科、精神科、整形外科を縦の糸としましょう。これを一つの布地に織り上げるには、横糸が必要です。この横糸に相当するものを、専門的には「横診療科」、縦の糸を「縦診療科」と言います。
 当院のスタンスは、この「横診療科」です。(ちなみに、診療科の区分では、放射線科、麻酔科、病理科、東洋医学科がこの横診療科に区分されています。)医療に関わるあらゆる分野に可能な限り与していくことが、当院の基本です。もちろん、「何でもやる」からといって、「何でも出来る」という訳ではありません。人間の能力には当然限界があります。自らの限界点を早く知り、相応のプロフェッショナルにバトンを渡すことが出来て、初めて「何でもやる」と言うだけの資格がある、と考えています。
 見方を変えると、医療のスタイルは、飲食店にも似たところがあります。例えるなら、大病院は洋食・和食・中華の名店を抱えるテナントビル、専門性を謳う診療所は近所の寿司屋、と言えます。では、当院は?というと、昔ながらの喫茶店兼レストラン、といったところでしょうか。三つ星クラスのフランス料理コースは無理ですが、お客さんのリクエストがあれば、イタ飯や和定食程度ならお任せ下さい、お子様ランチや、簡単なデザートもやってみましょう、という雰囲気です。「そんなやり方が許されるのか?」という意見もあるでしょう。でも、調理師免許があれば(フグ料理を除いて→これは麻酔科に似てます)、「作れれば作る」ことが出来ます。フランス料理のシェフがラーメンを作ってはいけないということはないでしょう?要は、お客さんが満足してくれれば、それでいいのです。同様に、医者も看護師も基本的には全般的な教育を受けた有資格者です。結局は、医療の世界でも、そのサービスを受ける側、即ち患者さんとその家族、が満足できるかどうかなのです。
(平成22年1月)

当院のロゴ

 トップページにもある、「東小諸クリニック」のシンボルマーク。下手くそな素人デザインではありますが(私がデザインしました)、それなりに意味があります。あの図形は立体オブジェを平面化したものですが、その立体を上、側面、正面から眺めた図を想像してください。"Eastern Komoro Clinic"の"E"と"K"と"C"として見える筈です。 これは私が画像診断畑出身であることに関係しています。最近でこそ、素人が見てもわかりやすい立体三次元画像が簡単に得られるようになりましたが、私が病院勤務していた時代では、画像診断というと、立体を影絵のような二次元にして観察するX線写真や、CTスキャンやMRIであっても、断面から全体を考える、といった診断方法が主体でした。例えば、ある肝臓の病変がCTで見つかったとしても、それが立体的にはどんな形なっているのか、頭の中でイメージを組み立てる作業が放射線診断医に求められていた訳です。つまり、立体をいろいろな角度から考える建築家のようなセンスを訓練していたのです。こういったセンスを忘れてはならない、という自戒を込めてデザインしたのが当院のシンボルマークなのです。
(平成22年1月)


医療と儒教

 この半年、医療従事者ばかりでなく、国民全体が新型インフルエンザに翻弄されました。このような実際のパンデミック状態を経験することで、検査キットの不足やワクチンの配給、抗インフルエンザ薬の供給や適応といった問題が明瞭になってきたことは貴重な経験と言えます。しかし、全ての業務をガイドラインやルール通りに進められれば良いのですが、実際には多くの症例でグレーゾーンに直面します。迅速診断キットは陰性だが、状況証拠から言えば新型インフルエンザ疑い。ではこの10歳代の少年にタミフルを処方するか?あるいは、検査キットが在庫切れなので、「見切り発車」で肺気腫の老人にリレンザを処方するか?等々、後々になって厚労省より「抗インフルエンザ薬の処方に検査は必須でない」といったアナウンスがされたにせよ、類似の事例に悩まされた先生方は多いことでしょう。
 歴史を紐解いてみると、こういった医療従事者の悩みは儒教の朱子学と陽明学の関係に置き換えられることが分かります。個人と外界を貫通する普遍の理に重点を置く朱子学は、いわばガイドライン、診療ルール重視志向であり、知行合一を謳う陽明学は医師の裁量権重視、ということになります。社会一般や医療行政から我々に期待されるのは朱子学的アプローチなのでしょうが、果たして、敢えて陽明学を声高に叫ぶ医師が出ては来ないか、と期待半分に医療ニュースを拾い読みするこの頃です。
(平成22年1月)


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